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東京高等裁判所 昭和22年(オ)29号 判決

上告人・附帯被上告人 被告・被控訴人 寺田統一郎

被上告人・附帶上告人 原告・控訴人 長松凌

主文

本件上告及び附帶上告はいずれも之を棄却する。

上告費用は上告人の負擔とし、附帶上告費用は附帶上告人の負擔とする。

理由

上告理由及び附帶上告理由は、それぞれ、別紙上告理由書及び附帶上告理由書に記載してある通りである。

上告理由第一點に對する判斷

地上權の存續期間について、登記簿上「無期限」と云う記載がある場合には、反證がないかぎり、その地上權を存續期間の定のない地上權と解するのが相當であることは、すでに大審院判決(昭和十五年六月二十六日言渡同年(オ)第一八〇七號事件判決)が示す通りである。したがつて、たとえ(イ)本件土地に設定された地上權が永久の地上權であり、その意味を表わすため登記簿上「無期限」と記載され、また最初の地上權者から上告人に、上告人から被上告人に、それぞれ本件地上權が賣買された際にも、常に永久の地上權として取引された事實があり、(ロ)本件土地が、その競賣手續において、永久の地上權附のものとして、最低競賣價格を一坪金五十圓と評價された事實があり、(ハ)訴外鈴木義雄が右競賣において本件土地を一坪金百圓の割合で競落した事實があり、また(ニ)本件土地が東京都中央區(舊京橋區)銀座西七丁目四番地ノ五と云う東京都の繁華街にあるとしても、かような事實だけで、訴外鈴木義雄が本件土地に設定された地上權が永久の地上權であることを承認して、本件土地を競落したものだと認定しなければならないものではない。蓋し、右(イ)の事實は競落人たる鈴木義雄が當然知り得たものだと云うことができないのは勿論、(ロ)の事實中本件土地が永久の地上權附のものとして評價された事實もまた同人が當然知り得たものと云うことはできない。また一坪五十圓と云う評價が本件土地の位置に比較して低額であると云ひ得るとしても、土地の評價はその負擔する地上權等の存續期間ばかりではなく、その地代の多寡(原審の認定によれば本件地上權の地代は全部で一ケ月金三圓七十一錢である)その他諸般の事情を斟酌してなされるのが普通であるから、評價が低額であると云うことだけで、鈴木義雄が本件地上權が永久の地上權であることを承認したものと推定することはできない。また右(ハ)及び(ニ)のような事實からも、かような推定を下し得ないことは云うまでもない。したがつて原審が、以上の事實を認定し又は成立に爭のない甲第十號證の二、同第十四號證によつて認定すべきものであつたとしても、訴外鈴木義雄が本件地上權が永久の地上權であることを承認して本件土地を競落したものとは認定できないとしたことを以て、論旨で云うような違法があるものと云うことはできない。論旨は要するに、原審が適正にした事實認定を、上告人獨自の見解によつて非難するものであつて、到底採用することはできない。

上告理由第二點に對する判斷

原審が、本件地上權設定登記の「無期限」の記載を、反證のないかぎり、「期限の定のない」と云う趣旨に解するのが相當であると云う見解を終始維持してきたことは、原判決を通覧すれば、容易に了解できるのであつて、ただ原審が被上告人において右「無期限」の記載をどう解したか、その解釋に過失があつたかどうかを認定するについて、「無期限」と云う語は通常の用語例としては「永久」の意味にも解し得られないこともなく、またこの意味に使用される事例も絶無とは云えないと説明したのにすぎないのであつて、「無期限」の記載を「永久」の意見に解するのが通例であると説明したのでないことは、論旨の冐頭に引用してある原判文を精讀すれば解ることである。したがつて原判決には、論旨で云うような理由齟齬の違法はない。而して右「無期限」の記載を反證のないかぎり「期限の定のない」と云う趣旨に解するのが相當であることは、理由第一點で説明した通りであつて、一部學者の著書に論旨で云うような用語例があるからと云つて、この見解を左右することはできない。本論旨もまた理由がない。

附帶上告理由第一點に對する判斷

賣買の目的物に隱れた瑕疵があり、賣主になんら過失その他有責原因がない場合に、賣主が民法第五百七十條及び同第五百六十六條の規定によつて買主に對して負擔する損害賠償義務の範圍は、買主が負擔した代金額から賣買契約締結當時における(その後瑕疵が減少したような場合は格別、そうでない場合はこの時を標準とすべきである)瑕疵ある目的物の客觀的取引價格を控除した殘額に制限せられるのが相當である。蓋しこの場合の賣主の擔保責任は、賣主の債務不履行その他の義務違反又は特別の擔保契約によるものではなく、賣買は元來目的物に關する原始的一部不能によつて全部若しくは少くとも一部の無効を來たし、賣主にはならん責任がない筈であるが、買主が目的物について瑕疵がないものとしての對價的出捐をしている關係上、衡平の觀念に基いて買主を保護するために、法律が特に認めた無過失責任であるから、その損害賠償義務の範圍についても、一般債務不履行による損害賠償義務の範圍を定めている民法第四百十六條の規定に從わなければならないものではなく、右賣主の擔保責任が認められる趣旨に從つて合理的に判斷して、かような制限を設けるのが相當だからである。民法第五百六十六條が損害賠償の範圍について、明文を以てなんらの制限を設けていないことを理由として、この場合の損害賠償も、目的物に瑕疵が存しなかつたら買主が得たであらう利益を標準として、民法第四百十六條の規定に從つて算定すべきであると云う附帶上告人の主張は採用することができない。尤も以上のように解するときは、賣主が支拂わなければならない損害賠償の額は、實質的には代金減額と差異がないこととなつて、第五百六十六條が代金減額と云わずに損害賠償と云つていることに反するようにみえるが、第五百七十條及び之によつて準用せられる第五百六十六條の場合は、賣買の目的物に量的不足が存する第五百六十三條又は第五百六十五條の場合と異つて、質的な目的物の瑕疵又は欠缺の「割合ニ應シテ代金ノ減額」を數字的に定めることが困難であると云う見方によつて、「代金減額」の字句を避けたのにすぎないものと解せられるから、かような字句の末に捉われて合理的な判斷を抛擲しなければならないものではない。また第五百六十六條第一項を第五百七十條の場合に準用するについて、賣主に過失のないときは、原判決が説明している通り、目的物の瑕疵のため買主が契約を爲した目的を達することができない場合は、買主は契約を解除して原状回復を請求することができるが、その他の場合には前記のような損害賠償を請求することができるにすぎないものと解して、少しも不都合な結果を生ずるものではない。賣主の擔保責任はその種類態樣が一樣ではないから、擔保責任に關する民法の規定を適用するについては、各場合に應じた合理的判斷を爲すべきであつて、論旨で云うように、各條文の字句を比較して、その統一的意義を求め、これを解釋の標準とすることを以て滿足すべきではない。原審の判斷は右當裁判所の見解と同一趣旨に出るものであつて、法律の解釋適用を誤つた違法はなく、これと所見を異にする本論旨は採用することができない。

附帶上告理由第二點に對する判斷

地上權の存續期間が滿了する前に、地上權者が土地所有者から建物収去土地明渡の訴訟を提起されたからと云つて、該地上權の存續期間滿了當時の價格が皆無であるものと認定しなければならないものではない。蓋し訴訟の進行中に和解又は調停が成立して地上權者が引續いてその土地を使用できるようにならないものとは限らないし、その他地上權が存在していたことを前提として特別の利益を得られないとも限らないからである。從つて本件地上權の存續期間滿了の時である昭和十四年五月二十二日以前に本件土地の競落人である訴外鈴木義雄から地上權者である附帶上告人に對して所論のような建物収去土地明渡の訴訟が提起されていたとしても、原審が右期間滿了當時の本件地上權の價格を皆無としないで、論旨に引用してある通りの認定をしたことを以て直ちに違法であると云うことはできない。また原審は訴外鈴木義雄と附帶上告人との間に成立した和解契約の内容を考慮し、鑑定人江口乙吉の鑑定の結果を斟酌して、本件地上權の賣買當時の相當價格を認定したものであつて、その詳細な理由は論旨に引用してある原判文を讀めば容易に解るのであり、それ以上の説明を附加しなければならないものではない。されば右原審の事實認定には所論のような經驗則背反又は審理不盡等の違法はなく、論旨は採用できない。

附帶上告理由第三點に對する判斷

原審がその理由前段において、論旨の冐頭に引用してある通り説明しているのは、原審が民法第五百七十條及び第五百六十六條の法意を説明するに當つて、これらの法條の場合には損害賠償と云う方法が採られ、代金減額と云う方法が採られなかつたのは、同條の場合には瑕疵が質的に存し、量的不足の場合のように代金の割合から算術的に代金減額をすることが性質上不能又は困難であらうことに着眼して損害賠償とされたものと解するのが相當であり、兩者が本質を異にするものとは認め難いと説示したのであつて、「代金の割合から算術的に代金減額をすることが性質上不能又は困難であらう」と云つたのは、單に立法者の意思を推測説明したのにすぎないのであつて、これら法條の場合には代金減額の割合を算定することが不能又は困難であると判示したのでないことは原判文上明かであるから、理由後段において論旨に引用してある通りの判示があつても、前後の判示は矛盾するものでなく、原判決には所論のような理由齟齬の違法はない。本論旨もまた採用することができない。

以上説明した通り、本件上告及び附帶上告はいずれも理由がないから、民事訴訟法第三百九十六條、第三百八十四條、第九十五條、第八十九條によつて主文の通り判決する。

(裁判長判事 箕田正一 判事 大野璋五 判事 柳川昌勝 判事 渡邊葆 判事 二宮節二郎)

上告理由書

第一點原判決はその判決理由中二に於て(判決文九枚目十行以下)『よつてまずこの點について判斷をするに本件地上權が登記簿上「無期限」と記載されてあつたことは當事者間に爭ひがなくかような無期限と言う表示は法律的には反證のない限り存續期間の定めがない意味に解するのを相當とするけれども成立に爭のない甲第八號證(中略)……を總合すると本件地上權は永久の地上權として設定されたもので前記無期限と言う登記簿上の記載も地上權設定の當事者の間では永久無限の意味をあらはす積りであつたものと認めることができる。故に本件地上權は登記上の「無期限」という表示をいかように解するのが至當であるかは別として少くともその設定者に對する關係では永久の地上權であつたものと認めるべきである。しかし乍らこのように登記簿上「無期限」と記載されている場合に設定者に對する關係では反證を許し設定契約の眞意を當該場合に應じて探究し「無期限」の趣旨如何を判定するのが相當であるとしても畫一性を重要視しなければならない登記の對抗力の方面ではこれを同一に取扱うことはできない。けだし地上權設定當事者の間では永久の地上權のつもりで「無期限」と言う登記をしたものとしてもこの「無期限」と言う言葉が前述のように通常「存續期間の定めがない」という意味に解せらるべきものとすれば第三者としては登記せられた「無期限」という文言を右のような普通の意味に理解してその土地についての利害關係をもつに至るものと見るのが至當であつて一々設定契約當事者の眞意を確めた上で取引するものとは限らないし、またかような立入つた調査をしなければならないものと解することは不動産登記制度本來の趣意にそわないものといわなければならないからである。故に「無期限」と登記された本件の地上權は第三者に對しては存續期間の定めのない地上權としてのみ對抗し得るにすぎぬと解するのが相當である。本件賣買の成立當時には地上權の目的土地は既に鈴木義雄が競落により取得しその登記を濟ませていたこと前述の如くであるから右賣買契約においては契約の當時から既に本件地上權は第三者たる土地所有者鈴木に對しては存續期間の定めのない地上權としてのみ對抗し得るに過ぎぬと言う瑕疵があつたものということができる。』とされる。

その前段の説示に係る登記の對抗力の問題については勿論上告人としても何等異存はない。上告人は「無期限」なる記載を以て何人に對しても對抗し得ると主張するものではなく只訴外人鈴木は第三者であつてもその特別な關係(後に詳述する)即ち本件地上權の永代なる事を一旦承認したと看做さるべきものであるから(永代として自己に對抗させたものだから)同人には永代と言う事實そのものを以て對抗しうるのであると主張したものに外ならない。この後段の點に關する上告人の主張に對して原判決の説示する所は『被控訴人は鈴木義雄が本件地上權の目的土地を競落した競賣事件に於いては右土地は永久の地上權の附いたものとして評價せられこの評價にもとづき競賣手續が實施されたことを理由として鈴木は右土地に永久地上權のついていることを承認して所有者となつたものとして取扱わるべきであり從つて同人においては本件地上權の永久であることを否認し得ないと主張する。そして右競賣手續が永久地上權附きの土地としての評價にもとづいて進行實施されたことは控訴人も爭わないところである。しかし右のような競賣不動産評價の理由は特に公告されるわけではなくまた地上權の存否期間などは競賣及競落期日公告には記載されないものであるし登記簿上「無期限」という記載あることは記録を見れば解つたであらうがかような記載は常識的にいつても必ずしも常に永久無限の意味に解されねばならぬものではない。また他面右の評價は競賣價格をきめる標準となるに止まりこの評價額によつて競賣すると言う立前ではないこと勿論である故に被控訴人主張の如き實事を理由として鈴木は本件地上權の永久なることを承認して前記土地を競落したものとして取扱わるべきものであるとは解し難く鈴木が本件地上權の永久でないことを主張し得ないとの被控訴人の主張は採用するに足らない』とされる。

然しこの判示は全く形式論的であつて裁判の對象たるべき現實の事實を無視し單に手續の形式に立脚して立論してる觀がある。上告裁判所に特に考慮を拂う事を乞う點は實にかの鈴木の特殊な立場である。

原審の確定した事實に依れば前記摘示の如く

(1) 本件土地の上に設定せられた地上權は永代でありその意味を表す積りで登記簿上には「無期限」と記載された事

(2) 最初の地上權者から上告人へ上告人から被上告人へと此の地上權が賣買されるに際しても常に永代の地上權として取引された事

(3) 本件土地が東京區裁判所の競賣手續に掛つた際土地の最低價格を決定するについても右土地には永代の地上權ありとして評價された事

及成立に爭なき甲第十號證の二甲第十四號證に依れば

(1) 右土地の最低價格は一坪當り金五十圓と評價された事(甲第十四號證)

(2) 訴外人鈴木の競落代金價格は坪當り金百圓である事(甲第十號證の二)

等を明にし得る。

上告人は上記の事實を理由として鈴木は本件地上權が永代のものである事を否認しうる第三者ではないと主張したのであるが原審は之を排斥しその理由として

『(1) 右のような競賣不動産評價の理由は特に公告されるわけでない。

(2) また地上權の存否期間などは競賣及競落期日公告には記載されないものである。

(3) 登記簿上「無期限」と言う記載のあることは記録を見れば解つたであらうがかような記載は常識的にいつても必ずしも永久無限の意味に解されねばならぬものではない。

(4) また他面右の評價は競賣價格をきめる標準となるに止まりこの評價格によつて競賣すると言う立前ではないこと勿論である。』

とされたのであるが此の排斥理由は全然現實の事實を無視した極めて薄弱な理由であつて殆んど無意味に近い論據である。問題は本件土地が競賣と言う一つの取引の上に於て(手續の上でもよい)如何なる取扱をうけたかであつて地上權についての公告の有無とか評價格通りに競落されたか否かと言う手續の形式ではない。言う所の公告などは單に競賣に千與する人の爲の手引であつてそれによつては肝心な目的物の一切の状態を知りうるものでなく又それを目的とするものではない。(競賣の公告丈で不動産の如き重要な財産を簡單に大金を出して競落するうかつ者はなかろう。殊に土地などは地上權賃借權その他の權利關係が買主にとつては最も重要な關心事である事は今更多言を要しない。)

更に又本件土地の評價が永代の地上權附きのものとして評價された事について原審は「右の評價は競賣價格をきめる標準となるに止まりこの評價格によつて競賣すると言う立前ではないこと勿論である」とされるがそれはその通りであるとしてもこの評價は土地が永代の地上權附きのものであると言う事を價格に換算して表はしたと言う事であり換言すればその土地の性格を決定した現象として重視せらるるのであつて競落がその評價通りされるとかしないとかは全く關係のない事である。假に評價以上に競落されようと競賣上永代の地上權附きの土地であらう事は銀として評價された品がその評價以上に競落されたからとて金にはならないと同一である。

要するに上告人がこの評價を引き合に出したのはその評價通りに競落されたからと言うのではなくそう言う土地(永代の地上權附きの土地)として競賣にかけられたと言う目的物の性格決定に關係する事柄として引用したのである。だから實際の競賣の結果は多少それと食ひ違つて居ても競賣手續としては斯る土地として取引されたと言う事に變りはないのである。又實際の結果から見るも右の如く永代の地上權附きの土地として取扱はれ(最初の最低價格坪當り金五十圓)る以上その事實は直接に競落價格に影響し相當安くなるのは必然であつて本件の土地は銀座所在の土地として普通ならば坪千圓を下らないとされる土地が僅か坪百圓で競落されてゐるのである(甲第十號證の二)。(永代の地上權附きの土地として鑑定人の報告に於て坪五十圓と言うが如く安く評價されてる以上競賣人はそれに強く影響されて餘り高く買はなくなるのは自然であらう。)さればこそ普通千圓もする土地が百圓位で競落されたのである。この現實-即ち競賣場を一つの社會と見てその社會の人々が右の如き感じを以て之を取扱つたと言う事も鑑定人の鑑定評價と相俟つて此の土地の性格を決定する重要な事實であらう。そして又競落人たる鈴木はその競賣場と言う一個の社會に於ける社會の一員であつた事及この競賣場と言う社會は他の大きな日本と言う社會の外にあるものではない事も看逃し得ない事實であらう。(斯く見て來ると原審は一體銀座の土地がどの位するものか本件土地はいくらで競落されたものか等々について何等かの考慮を少しでも拂つたのかどうか疑はしい。もし右の事實を知つてゐたなら右の評價は單に競賣の價格をきめる標準となるに止まりこの價格によつて競落すると言う立前ではないと言う樣な何の事やらわけのわからない文言を並べてすましてられるものではあるまい。右の文言は書直せば「價格は要するに價格である」と言つてるにすぎないではないか。)

以上の如くであるから本件土地を永代の地上權つきの土地として之を競落した訴外人鈴木は本件地上權の永代なる事を承認して競落したものと看做されなければならない。茲に言う承認と言う事は必しも明示の意思表示があつたというのではないが然し意思表示と言う形式よりも何よりももつと重要な現實の取引に於て競賣場と言う一つの社會に於ける取引-手續に於て賣る者(裁判所)も買う者(競賣人)も競賣の記録を通じて右土地が永代の地上權附きのものである事を了解して手續(取引)を進めそれによつて土地所有權取得につきその代金の上で永代地上權附きであると言う事實に因る利益(法外な安い値段で取得した事)を享受した事自體を以て現實の事實に依る承認と看做さる可きであると言うのである。元來登記制度も地上權も要するに財産法であるからその實體である經濟關係を眼中に入れて事を考ふ可きであつて單に法規の字句のみで事を考へてはならないのである。本件の場合前記の承認の有無についても競賣手續の公告がどうの競賣が最低價格で競落される立前であるとかないとか言う法規的な事丈を見ずに現實に取引された代金の額が何によつて決せられたかをも考へなければならないのである。斯く見て來ると本件地上權について永代なる事を表はす積りで「無期限」と登記された事實は原審の言はれる通りその表示方法に於て不完全であつても一旦その永代なる事實を自己に對抗せしめた以上(承認した以上)後になつて態度を變更して之を自己に對抗せしめないと言うわけには行かないのである。(對抗し得ない權利は第三者からは否認もし肯認もし得られるが一旦之を肯認すれば更に否認する事が出來なくなるとするは定説であらう。)

以上の如しとすれば被上告人は訴外人鈴木に對しては本件地上權の永代である事を以て對抗し得た筈である。然るに原審は此點を反對に解したのであるから判決に重大な影響ある點に於て誤判をしてると信ずる。

第二點原判決には左記のような明白な理由「ソゴ」がある。即ち本件地上權賣買につき隱れたる瑕疵があるかないかの點につき説示(三)に於て(判決文十五枚目表二行目以下)『本件の地上權が登記簿上「無期限」と記載されていたことを買主の控訴人も知つて居たことは當事者間に爭いのないところである。しかし通常の用語例としては「無期限」というのは「存續期間の定めなし」とは趣がちがい永久と言うことを意味するものとも解し得ないこともない。またこの意味で用いられる事例も絶無とはいえない。從つてきわめて法律的に考えれば「無期限」というのは一應存續期間の定めない意味と解するのが正當であるにしても普通人一般の取引上の注意義務としてそれほどの注意を期待するのは無理である。故に本件で控訴人が前記賣買當時「無期限」という登記簿上の記載を永久無限の意味に解し永久地上權をその目的土地の所有者に對し主張するのに妨げないと信じたこと當審における控訴人本人訊問の結果から推察し得るところであるがこれを以て控訴人に過失があつたと認めることはできない』とされている。

以上の説示からみると原審は本件地上權の「無期限」という登記簿上の記載を永久と解するのが通常人の常識として許さるべきであるとされるのである。

所が被上告人に於て本件の地上權を以て永久のものとして訴外鈴木に對抗し得ないものとする説示の段になると(説示二判決文十枚目表三行目以下)『けだし地上權設定當事者の間では永久の地上權のつもりで「無期限」と言う登記をしたものとしてもこの無期限という言葉が前述のように通常「存續期間の定めがない」という意味に解せらるべきものとすれば第三者としては登記せられた「無期限」という文言を右のような普通の意味に理解してその土地についての利害關係をもつに至るものと見るのが至當であつて云々」とされている。同一の事實「無期限」という字句の意味について場合を異にすると一つは「永久」の意味に解するを通例であるとし他は「期限の定めなし」の意味に解するを通例とするとされるのである。その矛盾であること明白である。

上告人はむしろ原審がその説示三において判示さるる所即ち「無期限」と言う文言は永久の意味にも解されぬこともないとする考へ方の方が眞實に近いものであると信ずる。それが自然と表はれたのが説示三の見解であつて説示二に於て示された思想は原審の自然のまゝのものでなくさきの大審院の判決に「反證なき限り期限の定めなきもの」と解するを相當とするとの判文に盲目的に追從した爲であつてむしろ不自然な考へ方であつたのではないかと思う。右の大審院の判示とても絶對にそうだと言うているのでなく「反證のない限り」との條件がついているので一應そうだと言つたに過ぎないのである事を看過してはならないのである。

所が本件「無期限」なる文言はその「永久」の意味だつた事は裁判上十二分に明かにされてるのであるからそう解するのが至當だつたのである。

原審は「無期限」と言う文言は永久の意味にも使用されぬ事はないとされているが實際右は學者の著書を見ると「無期限」と言う字句を「永久」と並べて用ゐている例は多々ある。

例へば

(イ)富井博士民法原論第二巻一九九頁には「永久無期」との字句を用ゐ

(ロ)末弘博士物權法四九一頁には「無期限永久」とあり

(ハ)三潴博士物權法提要一七二頁には有期無期として無期なる文字を永久無限の意味で使用している。

本件地上權の設定は明治三十二年とあるから當時の文字使用例としては無期限と言う字句必ずしも永久の意味を示すには不相當ではなかつたのかも知れない。時代の變遷に留意する事なく數十年後になつてその時代の頭の過去の考へ方を律する誤を犯してなければ幸である。

何れにせよ原審の判決理由は前後ムジユンがある事丈は明白であると信ずる。

附帶上告の理由

第一點原判決は民法第五百七十條に於て準用される同法第五百六十六條第一項の規定の解釋を誤り其の誤つた解釋を前提として附帶上告人の請求の一部を棄却した不法のあるもので原判決中附帶上告人の請求を棄却した部分は破毀を免れませぬ

抑々原判決は附帶上告人、控訴人の附帶被上告人、被控訴人に對する本件賣買目的物たる地上權に瑕疵があつたことを理由とする損害賠償の請求に就いて附帶被上告人の瑕疵擔保の責任を認めたのでありますが附帶上告人の損害賠償の請求の一部を棄却し其の理由に於て

「控訴人は被控訴人に對し民法第五百七十條第五百六十六條により損害賠償を求め得るものといふべきである。よつてさらに進んで損害の有無及範圍について判斷することとする。控訴人は本件賣買の目的物の一つである地上權を控訴人が永久の地上權として保持し得たとすれば、それは和解の成立した昭和十五年七月十三日當時金二萬二千七百二十二圓の價値があつたと主張し、瑕疵のないものとしての地上權の價値を基準として右金額の損害賠償を請求して居る。しかしながら民法第五百七十條第五百六十六條による賣主の瑕疵擔保責任としては右のような損害賠償責任を認めるのは不當である。賣主のこの担保責任は債務不履行による損害賠償責任とは趣を異にし、原始的一部履行不能の場合に賣主の有責を要件としないで法律上認められる無過失責任であり且つそれは他の有償契約にも準用されるが無償契約には準用されないことを考慮に入れて判斷すればその本質は契約の有償性殊に有償契約における兩給付の均等關係にもとずく衡平の要求に應じようとする點に存すると解すべきである。從つて右法條には單に損害賠償をなし得る旨が定められているにすぎぬけれども、この賠償責任の範圍も兩給付の均等關係維持という點に限定するのが相當であつて問題の瑕疵がなかつた場合における賣買目的物の價格に立脚し法律上因果關係の認められる限り無制限に及ぶと解すべきではなく常に對價を考慮し瑕疵あるものとしての賣買目的物の實際の價格と當該賣買代金との差額に限定されるものと解するのが正當である。民法第五百七十條の場合には損害賠償という方法が採られ代金減額という方法は採られていないとはいえ、この場合には瑕疵が質的に存し量的不足の場合のように代金の割合から算術的に代金減額をすることが性質上不能又は困難であらうことに着眼して損害賠償とされたものと解するを相當とし兩者が本質を異にするものとは認め難い。また民法第五百七十條が準用する同法第五百六十六條第一項には買主は契約の目的を達し得ない場合に限り契約の解除をなすことができ然らざる場合には損害賠償の請求のみをなすことができると規定してあるけれども、この文理上からは買主は契約の目的を達し得ないときには契約の解除と損害賠償の請求をすることができその他の場合には損害賠償だけができる趣旨と解するのが必然であるとは言い難い。けだし右條文の趣旨は買主は契約の目的達成不能のときには契約を解除して代金全部の返還を求めることができるがその他の場合には前述の意味の損害賠償だけしか請求し得ないというに在ると解しても右條文の文理に反するとは認め難いからである。」

と判示して居ます、然し民法第五百七十條で準用される同法第五百六十六條第一項の擔保責任は同法第五百六十一條第五百六十二條第五百六十三條第五百六十五條及第五百六十七條と共に過失の有無を問はない所謂無過失責任でありまして(大正十年(オ)第一三四號大正十年六月九日第二民事部判決民録第二十七輯二、一二七頁)等しく有償契約に準用せられるものであります、何れも契約の解除に基く原状回復請求權と損害賠償請求權の並存を認めて居ます、そして其の損害賠償の範圍に付ては何等之を制限する明文が存しない以上債權總則の規定である第四百十六條以下の規定が適用せられ賣買の目的物に隱れた瑕疵があつたときは買主が受けた損害と喪つた利益とを包含して賠償要求の出來ることは勿論であります、本件の場合に代金減額請求が認められない事實(大正十五年(オ)第一、一〇四號昭和二年一月二十九日第三民事部判決法律評論第十六巻民法第二九二頁)から言つても賣買代金の範圍で損害賠償を認めると言う原院の判決は誤りで契約を解除し原状回復を求めた上更に損害の賠償が出來るとの法の明文にも反するものであります、以下原院の所論の誤謬を指摘することとします

一、原院は損害賠償の觀念を誤つて居ます

民法第五百七十條により準用される同法第五百六十六條第一項によれば賣買の目的物が地上權永小作權地役權留置權又は質權の目的たる場合に於て買主が之れを知らざりしときは之が爲めに契約を爲したる目的を達すること能はざる場合に限り買主は契約の解除を爲すことを得、其他の場合に於ては損害賠償の請求のみを爲すことを得と規定してあり損害賠償の觀念は現實に現はれた結果と本來存在すべき状態との差を補填する觀念であります、從つて附帶上告人は昭和十四年五月二十二日賣買の目的物であつた地上權を失つた時の價格を請求して居るのでありますが原院は昭和十一年十二月二十三日右地上權賣買當時附帶上告人が附帶被上告人に支拂つた代金即ち其の時の地上權の價格を基本にして請求を認めようとして居り全然請求の趣旨に合ひませぬ、加之附帶上告人は右法規に基き損害賠償の請求をして居るので代金を不當に支拂つたことを原因として本件請求をして居るのではないに不拘原院は右代金を根本として損害額の範圍を定め樣として居るのです、損害賠償の觀念を誤つて居ると考へるより外ありませぬ。

二、原院は法條の文理解釋を誤つて條文に根據なき解釋をして居ります

民法第五百七十條により準用される同法第五百六十六條第一項は前記の樣に買主が契約の目的を達し得ないときは契約の解除と損害賠償の請求をすることが出來其の他の場合には損害賠償の請求だけが出來ると解釋するのが文理上必然で之れを必然とは言い難いとする原判決の解釋は牽強附會と云う外ないのであります

三、原院は他の法條との關係に於て其の解釋を誤つて居ます

原院は瑕疵擔保責任は賣主の有責を要件とせず法律上認められる無過失責任である點に其の解釋の論據を求めて居るが民法第五百六十條以下に賣主が無過失でも損害賠償の責に任じなければならぬ旨の規定があり其の論據となすに足りないのであります

尚ほ原院は民法第五百七十條の場合には損害賠償と言う方法が採られ代金減額と言う方法は採られて居ないとは言へ此の場合には瑕疵が質的に存し量的不足の場合の樣に代金の割合から代金減額をすることが性質上不能又は困難であらうことに着眼して損害賠償とされたものと解するを相當とし兩者が本質を異にするものとは認め難いと説明し前記の樣に損害賠償を支拂はれた代金に關連せしめ樣として居るが何故に右の様に解釋することが原院の解釋の論據となるか明でない、蓋し民法第五百六十三條第五百六十五條の減額請求の場合にも買主に損害賠償が許され居り原院の樣な解釋は損害賠償の規定と矛盾すること本件の場合と同様で其の解釋の樣に損害賠償の範圍に制限せられることがあるとするならば其の損害賠償の規定は全然無意味のものとなり反つて原院の誤りを證明して居るのではありますまいか

原院は契約の有償性殊に有償契約に於ける兩給付の均等關係に基く衡平の要求に應じようとする點に其の論據を求めて居るが契約絶對自由に出發する斯る衡平の觀念が原院の如く解釋されて茲に適用される意義が果して有るであらうか、貨幣價値の變動、金錢利用の經濟的社會的價値、目的物と同種のものの入手の能・不能、目的物の需給關係を考慮すれば目的物が本來在るべき状態になく瑕疵ある爲め其の利用價値、交換價値が滅失又は減少した場合買主が損害を蒙ることは賣買當事者間に其の當時より當然考へられるのが社會常識であり斯る場合買主の保護に當る事こそ賣買の信用を保護し取引の需要に應ずる所以で民法も亦斯る目的を持つものと解釋せらるべきではあるまいか、此の事は民法が其の原因が過失に出づると無過失に出づると又起因する契約が雙務たると片務たると、有償たると無償たるとに關係なく損害賠償を許して居ることと相俟つて民法第五百六十六條第一項の損害賠償には範圍を限定して居ないことを考へ合せれば原院の解釋は誤つたものであると謂うの外ないであらう

四、原院の損害賠償の算定方法には觀念上の統一がない

原院は前記の如く衡平の觀念に結付け賠償責任の範圍を兩給付の均等關係維持と言う點に限定し進んで常に對價を考慮して瑕疵あるものとしての賣買目的物の實際の價格と當該賣買代金との差額に限定されるものと解するのが正當であると説明して居るが凡そ賣買代金は社會的な客觀的主觀的諸條件に依つて決定せられるもので觀念上目的物の實際の價格とは別のものである、況や衡平の觀念と結付く契約自由の原則から割出せば其の相違は一層明瞭であらう、然るに原院は其の代金中より瑕疵あるものとしての目的物の實際の價格を差引いて損害額を出さうと謂うので同一觀念に無いものの差引は何を意味するか理解し能はないところであります

第二點原判決は經驗則に反し事實を不當に認定したるか又は判決に理由を附せずして附帶上告人の請求の一部を棄却したかの不法があるので原判決中附帶上告人の請求を棄却した部分は破毀せらるべきものであります

原判決は其理由に於て

「故に右の立場から本件損害賠償額の算定に移ることとする。本件賣買契約に於ける代金一萬三千五百圓は賣買の目的物である地上權と建物とについて地上權が幾何、建物が幾何と區別することなく兩者を一括して定められたものであるけれども賣買當時における右兩者の價格の割合は五對一であつて、この割合で右代金額を兩者に割當てると本件地上權の代金が金一萬一千二百五十圓となることは當事者間に爭いがない。控訴人は本件地上權についての瑕疵のため鈴木義雄との和解において前述の如く昭和十四年五月二十二日限り地上權の消滅したことを認めたのであるが當事者間に爭のない前記和解の内容と當審における控訴本人訊問の結果とによれば控訴人は昭和十五年七月末日までは實際上從前のように土地を使用することが認められ、同年八月一日以後地上建物を賃借するに至つた事實を認定し得る。よつて本件では昭和十五年七月末日まで使用収益し得るものとして本件地上權の賣買當時の相當價格を決定し、これを以て瑕疵あるものとしての實價と認めるのが相當である。そして右の意味においての地上權の相當價格は原審鑑定人江口乙吉の鑑定の結果を考慮して、これを金五千九百圓と認定することができる。詳しく言えば右鑑定人は本件地上權が昭和十四年五月二十二日迄の殘存期間しかないことを前提として本件賣買成立後約二年半の存續期間を有するに過ぎない。右地上權の相當價格を普通地上權價格の評價坪當金四百圓の四十分の二・五すなわち坪當り金二十五圓と評價しついで東京市内繁華街附近において期間滿了の場合に地上權が通例保有する價値として坪當り金百二十圓を計上し以上合計金百四十五圓を坪當りの相當價格としていること、しかし昭和十五年七月末日まで使用収益できるものであつたとすれば賣買後三年七ケ月余の期間があるから右のうち前者の方の評價はなお高まつてしかるべきであり前示金四百圓の四十分の三カ十二分の七(37/12/40)に相當する金額によれば坪當り金三十五圓八十三錢の評價となりこれを前述の金百二十圓に加えれば坪當り合計金百五十五圓八十三錢となること及びこの坪當り金百五十五圓八十三錢を基準とする金額は總坪數三十七坪八合七勺について金五千九百一圓二十八錢となること、これらを考慮して當院は前示金五千九百圓を以て相當價格と認定するのである。そして本件地上權の代金一萬一千二百五十圓から右の意味の本件地上權の實價金五千九百圓を差引いた殘額金五千三百五十圓は前述の瑕疵のため控訴人が賣買目的物の實價を超えて支拂つた金額であり且つこの部分については控訴人は何等對價としての利益を受けなかつたのであるから右金額と之に對する代金支拂後年五分の法定利息とは本件地上權の瑕疵擔保責任として被控訴人が控訴人に賠償すべきものと認定するを相當とする。」

と説明し本件地上權賣買當時の地上權の價格を金五千九百圓と認定しました

其の立論の根據の失當であることは前述の通りでありますが此の地上權の價格の認定に付いて期間滿了の場合に地上權が通例保有する價値とは地上權滿了の場合更新或は繼續或は地上物件の賣買の蓋然性に對する希望價値を指すもので原院が確定した事實の如く本件地上權に付ては土地所有者から本件地上權が存續期間の滿了により消滅した昭和十四年五月二十二日より先に東京地方裁判所昭和十三年(ワ)第二六〇一號建物収去土地明渡の請求訴訟が提起されて居たので期間滿了の際に於て前記希望價格は全然存在し得ない場合であつて之れを算入して賣買當時の地上權の相當價格を決定することは更に誤りを加えることで失當であることは明らかであります、のみならず買受の日から僅に三ケ年の存續期間を有するに過ぎない地上權を原院認定の如き所謂實際價格で賣買が行はれたであらうとの客觀的理由に付いては何の説明もしてありません

第三點原院判決の理由には原判決を破毀しなければならぬ重大な齟齬があります

即ち原判決は其の理由中で

「民法第五百七十條の場合には(中略)瑕疵が質的に存し量的不足の場合のように代金の割合から算術的に代金減額をすることが性質上不能又は困難であらう」

と判示しながら其の後半で易々と瑕疵による代金減額の割合を算定し而かも

「常に對價を考慮し瑕疵あるものとしての賣買の目的物の實際の價格と當該賣買代金との差額に限定される」

と判示してゐます、右は原判決を維持することの出來ない重大な判決理由の齟齬であります

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